岸恵子さんの「私の履歴書」

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"私は娘に送られて争乱のパリを去った。
メトロの駅名が「ピエール・エ・マリー・キュリー」
(ノーベル物理学賞受賞のキュリー夫妻に由来)という
パリ南郊に住む家族の元へ帰る娘を抱きしめて、
私も日本への一歩を踏んだ。

母は東へ、娘は西へ。
振り向きながら去ってゆく娘を万感の思いで見送った。"

昨日で終わった
岸恵子さんの「私の履歴書」は最後まで劇的でした。
アパートの崩落、「黄色いベスト運動」。

"5月というのは私に尊い出会いと別れをもたらした月である。
日本から去り、夫から去ったのもスズラン祭りの5月1日。
今年のその日、娘が自宅に咲くスズランの写真をメールで送ってくれた。
パソコン画面に朝露をまとったスズランの花の群れが咲いた。

「ママンのすてきな5月1日のために庭先のスズランを」と娘の一言があった。"

徹底的に映画的、文学的な「履歴書」でしたね。