バーとワインの先駆者

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

"今井さんのやり方でいちばん勉強になったのは、
レモン・ピールのしかたです。...
上方45度ぐらい斜めの角度で、
グラスから10センチから15センチ離して搾りなさい。
ほしいのは香りであって、苦みをグラスへ入れるもんじゃないよってうお話です。...
レモンの皮の中には苦みと香りと2種類の油成分がある。...
苦みのある油分は重たいという。それを搾るとストレートに落ちてくる。
しかし、香りを持った油分は非常に軽いからフワーッと飛ぶ。
こちらをグラスに受けなさいと教えられました。
...そのために、グラスから角度をつけて搾る。
そうすると、重いのはグラスの外に落ちて、軽い香りだけが、
霧になってマティーニに降りかかる。"

先日、散歩の途中の古本屋で見つけた
枝川公一・著『日本マティーニ伝説』を読み終わりました。

"ミスター・マティーニ"と呼ばれたバーテンダー今井清の人生と
日本でのマティーニの技の継承を描いた
2001年発行の文庫書き下ろしです。

このレモン・ピールの話は有名なのかもしれませんが、
面白いですね。
今井清のマティーニの材料は、
ジンはゴードンで、ヴェルモットはノイリー・プラットだそうです。
「ジンはタンカレー、ヴェルモットはノイリー・プラット」と
何かの本で読みましたが、あれは誰のレシピだったかしら?

"ワインを発注し終えると、日本で初めてのワイン・リストの作成にとりかかった。
料理とワインの写真を組み合わせるという、当時としては斬新なデザインで、
どれがどれに合うかを、客にもおぼえてもらおうと考えた。
「これが、ひとつの夜明けになった。
いまだったら、安いワインから順に並べるけれど、そのときは高い順にした。
フランス料理とフランス・ワインなら、ウチでござる、わかる人だけ来てくれればいい、
という気概があった」と、浅田氏は述懐している。"

東京會舘からパレスホテルへ移った今井清には、
日本の飲食文化についてもうひとつの功績があったそうです。
「次はワインの時代が来る」という見通しを早い時期から持っていたという彼は、
パレスホテルにワインが売り物の「クラウンレストラン」を作ります。
その伴走者が、この"浅田氏"。
彼は後の日本ソムリエ協会名誉会長の浅田勝美氏。

日本のバー文化と、ワイン、ソムリエの歴史に
大きな貢献があった賢人の人生はとても興味深いものでした。
チャンスがあったらご一読をお薦めします。