アナザー1964

"障害者スポーツやリハビリテーションという言葉が一般的でなかった時代。
脊髄(せきずい)損傷の人たちは療養所や病院でひっそりと暮らし、
パラリンピック出場を持ちかけられると、「恥ずかしい」。
]ところが会場には、とにかく明るい外国人選手の姿があった。
仕事に家庭、車の運転......。
健常者と変わらぬ生活を送っていると知った。"

昨日の朝日新聞読書欄の『アナザー1964』の著者インタビューから。

64年の東京パラリンピックについてはあまり語られてきませんでしたね。
22カ国から369人が参加した「大きな会社の運動会ほどの規模でしたが、
コペルニクス的転回をもたらされた日本の選手もいた」という、
その気持ちは現在から見るとよく分かりますね。

「50年余りでインフラや雇用など障害者をめぐる環境は整備されてきた。
でも『心』の部分ではどうでしょう。問われ続けていると思います」
という著者の言葉が心に突き刺さります。