国語における「エリート男子の苦悩と挫折の物語」

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"多くの読者には、夏目漱石の「こころ」、
森鴎外の「舞姫」、中島敦の「山月記」を
高校国語で学んだ記憶があるだろう。
出身校も年代も違うのに、
なぜ誰もがこの3作品を読んだのか。
理由は明白。
ほぼすべての高校国語の教科書に掲載されてきたからだ。
数多(あまた)ある作品の中でなぜこの3作品なのか。...
この3作品には興味深い特徴がある。
どれも「エリート男子の苦悩と挫折の物語」だということである。"

今日の日経文化欄の
国立情報学研究所教授・新井紀子さんのエッセイ
「エリート男子の高校国語」から。

"エリート男子に尽くして
妊娠した揚げ句に捨てられた踊り子(舞姫)や、
詩人として名声を獲得したいという野心と
己の実力との乖離(かいり)から発狂した揚げ句、
虎になった主人公の陰で貧窮する妻(山月記)に、
女子生徒が共感したり
ロールモデルを見出したりすることは難しいだろう。"

なかなか鋭い批判ですね。
このエッセイでは
、まもなく始まる新学習指導要領の高等学校の国語で
「論理国語」が導入されることについても
触れられている(というか、それが主旨ですかね?)。

"新設される「論理国語」で扱う文書は、
著作権法(抄)とその解説記事から、
著作権法の目的や具体的にどのような著作物が
どの条文でどのように保護されるかとか、
経済や社会現象に関するデータと解説記事から、
2030年代に起こり得る社会問題を
読み取るといった課題等が想定されている。
国語教員には戸惑いがあるかもしれない。"

「事実について淡々と書かれた文書を正確に読解する力」を
身につける必要性には大賛成ですが、
国語嫌いが増えないことを祈るばかりです(笑)。