小泉首相を食べ物に例えると?

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昨日の朝日新聞夕刊に
日本総研会長の寺島実郎氏が
「小泉劇場の終幕の前に」というコラムを書いている。

寺島氏の主張はハッキリしている。

   絶叫して「白か黒か」の二者択一的選択を求め、
   思考回路の単純化を図る状況から脱し、
   日本人は静かに思慮深さを回復すべき時である。

まさにその通りですという感じだが、
ここで筆者は、
禅思想家・鈴木大拙の考えを引く。

   東洋思想は「分割的知性」に立脚した
   論理万能主義ではなく、
   人間世界総体を見渡した全体知を大切にする。

そして、
大拙が主張し続けた「自らを失ってはならない」、
「ひとりよがりではいけない」という言葉を
手がかりに話は進んでゆくが、
その論理展開は原文に当たっていただきたい。

全体の主旨は、
このコラムの見出しがよく表している。

   大局観・自立取り戻し
   国際関係見直しの時

まあ当たり前といえば当たり前だが、
確かにそうだよねえ。

ところで、
このコラムの中の
小泉純一郎という人間の分析が
ちょっと面白かった。

   絶えず「スカッと爽やか」を演じ続けねばならず、
   国民としては清涼飲料ばかりを飲まされ続け、
   最後まで主食は出てこなかったという印象が強い。

最後に、
プレスリーの家ではしゃぐ姿を見せられて
ゲップが出そうなところも、
なるほど、よく似ている。